横浜野宿者連続差別虐殺事件
1982年末から83年2月にかけて、野宿している人たちを少年が襲い、3人が殺され多くの人が傷付けられる事件が発覚しました。加害者の少年たちは中学生を中心とする14〜16歳。被害者となったのは寿の日雇い労働者であり、失業や身体を壊したなどの理由で凍てつく寒空の中で野宿を強いられてきた人々でした。
事件発覚後、少年たちは「やって面白かった」「町をきれいにした」「なぜ逮捕されるのか分からない」と述べています。「ごみを始末しただけ」と言って、実際に山下公園では野宿者をごみ箱に放り込んで殺したのです。
この事件は社会的にも大きく取り上げられました。マスコミ報道のほとんどは、「非行問題」「家庭環境の問題」という視点でした。私たちはそうではないと考えます。被害者がなぜ野宿せざるをえなかったのか、なぜ野宿することが「襲撃」の対象になるのか、それを考える必要があります。
当時、新聞に16歳の女子高校生が投書しています。次の様な内容でした。
「虐殺の問題で、やった側の少年たちが弱者を殺したということで裁かれ非難されている。そのことは当然だが、その前に私自身、駅などで駅員が『浮浪者』と言われている人に水をかけたり、公園などで警官が暴力的に排除しているのをいつも見ている。少年を悪者にする前に、大人の社会が問題ではないの?」
こうした視点が大切ではないでしょうか。日雇い労働者と野宿者に対する社会全体の差別的な見方が、事件を生み出したのです。
その後10年の変化
バブルとその崩壊、高齢化、国際化、生活の高額化など、この10年で社会全体が大きく変わりました。野宿者を取り巻くところでは、排除が強まっています。ハードな追い出しとソフトな追い出し。たとえば、公園の減少と変化(締め出し)、西口地下通路のシャッター閉鎖、商店街や駅による暴力的追い出し、「みなとみらい21」の開発に伴う排除、ベンチの仕切りを横になれないようにする、など。
子供たちによる、バクチクや花火などの嫌がらせはずっと続いています。社会が自分を見る視線を毎日感じている野宿者は「反撃したらこっちが悪者になる」という気持ちもあるでしょう。それをいいことに、襲撃は後を絶ちません。野宿者に対する差別・排除は根深くなってきています。信太さんの免罪や川崎などはその象徴的な出来事でしょう。10年何も変わっていないのです。野宿せざるをえない状況を変えていくこと、せめて安心して野宿できることはどうしたらできるのでしょうか。
虐殺事件を2度と繰り返してはならないと思います。「これ以上野宿者に対する暴行を許してはならない」という声が集まって、事件後、さまざまな活動が進みました。寿支援者交流会で1年を通したパトロールを始めました。それは川崎・戸塚・相模原・藤沢などに拡大しました。やるべきことはたくさんありますが、少しずつ やっていきたいと考えています。
川崎では、「住民反対」によりパン券支給場所が4回変更され、現在はバスで巡回しています。寿の以前の越冬では、家庭裁判所横のマンションがプレハブに反対し警備員を雇いました。「自分の近くから出て行け」という意識は、ある時には直接暴力的な行為となり、別の時には間接的な排除となります。その大合唱により、野宿生活者が行き場を奪われています。それが、全国各地で続発する野宿生活者への襲撃、大阪や東京北区での殺人につながっていくのです。